Sunday 9 March 2014

血判書って - 書道指導

現在、私たちが「伝統的」と思っている作法やしきたりは、ほぼ江戸時代に確立されているらしい。時代劇、というと江戸時代が舞台のものが圧倒的に多い。

アクション映画なので、剣道や馬術のインストラクターなどは最初からおり、主なキャラクターの役者さんたちは、よくお稽古をされていたようだった。カイがよく(なぜか)階段で木刀の素振りをしているところを見たりした。

血判書にサインする場面があるのは決まってはいたが、どの程度、大事なシーンとなるのかは台本が変更になる度に変わり、どの日程で撮影されるのかも変わった。巻物など外見の設定は早くに決まったが、中身については、初期の設定では「オオイシが全部前もって人名まで書いちゃってる」ものに、各自が血判のみする、というものだった。

その頃の文書はどういうものだったのだろうか。


題名、文言、そして署名の箇所、日付、それから宛先、書いた者、の様子。〜衛門という名がやたら多くて、文末だけ見ると皆いっしょに見える、、、。

調べる時間も内容も少なかったので、いろいろ不明点があるにしても、皆達筆。このごろは筆でしかないんだから、普段から使ってたら皆しぜんと上手になるのだろうけど、お勤めで書記みたいな書く仕事に就いている人たち以外も皆、達筆だったのだろうか。


上記の人名の部分も、個別のサインというよりは、誰かがまとめて書いたように見える。名前の下部分、花押のように見えなくはないが、例のごとく〜衛門や〜助が模様に見えるだけか。



お殿様方の花押の資料は残っているが、どの程度の人まで持ってたものだろう。



その当時はちゃんとした家の子なら、教育を受けていたはず。47人も元は藩仕えの身であれば、きれいに字くらい書けてたはず。大石内蔵助の筆蹟はさすがに資料が残っているが、大らかなで流暢なものだった。

日本の役者さんたちはともかく、カイは筆も持ったことないので、とんでもないことにならないように、皆の休憩時間をもらって書道教室をすることになった。30分だけ。
撮影はブダペストで行われることに(また)急遽決定、3月のある日の昼休みに、集まってもらうことに。

日本は小学校でとにかく習字が必修なのは素晴らしいことだと思う。ぜひぜひその流れは絶やさないで欲しい。そのおかげで、日本の役者さんにはそれほど教えることはなかった。次回、30分について。(写真なし)

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