Thursday 20 August 2015

現場

先日、ロンドンで再び小さい規模ではありますが、撮影現場で字を書く仕事がありました。依頼主メーカーの名は秘密ですが、机の上で字を書く、私の字とペンと手が画面に入る設定です。朝から晩まで貸しスタジオで、ひたすら同じ字を書いていました。今回はアルファベットで英語で書きました。

撮影現場には、これだけのものを撮るのに、こんなに沢山人がいるのか、半分くらい居なくても困らないんじゃないかなーといつも思ってしまいます。

私の周りにはカメラが2つ、よってカメラマンも2人、彼らを指揮する監督が1人。
紙やペンなど、小道具のお世話をしてくれる人が2人。
撮る前に、いわゆる「かちんこ」を出す若い子が一人。

少し離れて、この机の周りチームと、依頼主や広告代理店との連絡係、また全体の進行を見守り管理するAD一人。メイクさん一人。以上が撮影チーム。

それから広告代理店のチームが6人。
ペンのメーカーである依頼主チームは6人。

これでも多い!と思いますが、47 では常に現場に最低150人くらいはいそうでした。すごい。

やり方は、映画と似てました。何をどう見せるかを、広告代理店とメーカーで決めたら、グラフィックがストーリーボード story board 、と呼ばれる紙芝居のようなものを書きます。わりと細かい動作まで指示されています。それを見て、カメラチームは照明やズーム、フォーカスなどを決め、タレント(私)にAD が次何するかの説明をしてくれて、
私は指示に従うだけです。

普段は、静かに自分の机で好きな姿勢で字を書いているので、皆の目があり、ミスの許されない「ライブ」は緊張してしまいます。そして自分からとても紙が遠いし、ライトは暑くて、とてもまぶしいから字もよく見えない時もあり、目も疲れます。場合によっては、ペンの上の方を持って書かないといけないこともありました。紙もペンも机も椅子も自分に選択権はなし。周りで人は喋りまくってるし、バタバタ走り回りもします。

文句を言えばきりはないけど、仕事だし、がんばりました。カメラの人だってきっと色々思い通りに行かないことがあるんでしょうし、撮り直しは、私のミスもありましたけど、フォーカスがずれたりする撮影サイドの問題もありました。メーカーの意図がその場で変更になることもありました。撮り直しになっても、誰が誰のせいか、追求したり、責めたりは全くなく、(でも、もうちょっとこうしてね、という注文は出る)はい、次と淡々と続きます。

あと面白かったのは、映画の時は、カメラが撮り始めると「Rolling!」とADが叫んで、それが静かにする合図でした。現場にいる人数が多かったので、ADの最初の一声の後に、色んなところでそれを繰り返す声がこだまして、静かにするよう伝達していくようでした。

今回の撮影は「Turning」 でした。同じ「回る」んだけど、ちがう感じ。そして今回は音を拾わないので、静かにする必要がそんなにないため、カメラさんたちがつぶやく程度です。そして Turning に続けて、最初にスタートするポイントのフォーカスが決まって、準備ができると、カメラさんたちは「Set」と小さく言います。Set が2つのカメラから出ると、監督が「Action」と私に動いて良い指示をくれました。この瞬間、緊張しますが、好きでした。

これで 8am - 6pm、休憩、ランチはありましたけど、皆体力あるなあと感心してしまいました。座ってるだけの人もいましたけど、カメラマンなんて、私以上に集中力要るのでしょうし。たいへんな世界、と改めて思いました。皆、慣れてくるのかな。

Saturday 1 August 2015

ウエツ村は、刀鍛冶や、刀にまつわる匠たち(装飾など)の村、という設定で、その技術と評判で栄えていたのに、キラの城下になってからさびれた、ということになっていました。

刀鍛冶が作った刀にはマークがあるはずだから、それを調べてほしい、とチーム内で頼まれて、キーワードなども分からずに行き詰まっていました。その頃に現地にいらしたところのオオイシ氏に、きっといくつも時代劇されて来ただろうから、ご存知かもしれないと、会った際に聞いたこともありました。


大英博物館や Victoria & Albert Museum にも刀の展示はあって、凄味があるなと見ていたことはありましたが、身近に接する機会もなく、ほとんど興味を持ったこともありません。
調べていくと、刀の部分にも各々立派な名称があることが分かりました。

マークがあるとしたら、柄に埋まってる(?)部分にあるらしい。上記図の「銘」の部分です。


有名で、伝説にもなっている刀匠がいたことも知りました。名前が彫られている場合が多いようですが、印もあるようです。


上は同じ菊の花の紋ですが、時代や匠によって微妙に差があり、鑑定の際の目安になるようです。同じく匠の名前だけでも、彫り方などによって見分け方があるようでした。


鋼に彫って行った、打ち込みの跡が見えるようです。
とめやはねも、彫っているので、筆の字よりもきぱっとしていて、かっこいいです。

こう見ると、包丁に名前が入ってることもありますね。歴史のある包丁の作り手の名前が入ることによって価値が決まるようです。

調べたらもっと奥が深くて面白そうでしたが、時間がかかりそうでしたので、止めました。未知の、興味深い世界でした。

Sunday 5 July 2015

七夕

七夕はお節句の一つ。
日本で育った方なら誰でも短冊にお願いごとを書いたことがあるのでは。



京都、貴船神社の笹飾りです。

奈良時代にはお願いごとでなくて、五色の絹糸を笹に飾ったと言われています。
五色は中国の陰陽道から生まれた自然を表す「五行説」に因んだもので、
「青」・「赤」・「黄」・「白」・「黒」
が使われていました。

青が緑の「木行」、
赤は炎の「火行」、
黄は大地の「土行」、
白は土に埋まっている金属の材料となる鉱物の「金行」、
黒は命を育む水の「水行」を表しているそうです。


五重塔の 天、風、火、水、地と似ています。

だんだん、黒の代わりに紫が使われ始め、江戸時代にはお願いごとを書いた短冊を飾るのが流行ったと言われます。

なぜ笹なのかは、昔から農作業などで虫除けとして笹や竹が使われることもあった為に、浄化作用があるとされていたことから、のようです。

今回のお話は、見た目は似ていますが七夕とは直接関係は全くありません。
使用されなかった小道具の一つですが、カイが天狗に刀をもらいに会いに行くシーンの飾りのひとつとして、デザイナーはこの笹飾りを使いたかったようです。
厄よけ、という意味で、天狗の森の入り口辺りにわんさか飾りたい、ということだったので、コピーして大量生産することにしました。


厄よけなので、お経を書くことになり、大きい、多分A2だったと思いますが、紙に違う種類の字で書きました。それを大きい紙がスキャンできる業者に送ってデータとして取り込んでもらい、布や紙に印刷してもらいます。

布として印刷したものは別途使う予定でおいておいて、紙の方を縦に裂いていきます。


あとはスタッフが、上に穴を空けて笹に吊るしてくれる、、、
はずでしたが思わぬ問題発生。


上下さかさま、、、、。

彼らは日本語が読めないので、仕方ない。
皆で話し合って、下にくる部分に、金で印をつけることにしました。スタッフは金のついてない方を上にすれば良い。


問題解決で、笹は紙のお飾りだらけになりました。

天狗の森のセットは、ブラペストに作られたので、持っていきましたが、美術監督の判断で使わない事に決定、日の目は見ませんでした。

布の短冊は、カイの住んでいる場所の周りの飾り付けに使われたようですが、はっきりどこか分かりません。


笹が飾られるなら、同じ節句の重陽の節句(秋)の菊にも、短冊が使われている資料がありました。これは願い事、というよりは、菊の品評会において、各々の菊の名前を表示するためのものではないか、と私は思いますが、デザイナーはこのアイデアも気に入っていて、どっかで使えないか考えていたようです。

Sunday 7 June 2015

ふとん

この仕事をしていた時の、資料のファイルや写真を見ていると、あ、こんなことも調べたな、と忘れていたことがあります。

ちなみに役職として「リサーチャー」というポストもあります。だいたいは、プレ・プロダクション、撮影が始まる前に終了するものだそうですが、時代背景や関係のありそうな資料を集めて、項目ごとにファイリングをする仕事です。いくつものファイルの他に、古い本や他の日本映画のDVDなどもありました。

私が、2009年の10月ごろ、この仕事をするかどうかのインタビューに行った時は、彼女はファイリングしてらっしゃいましたが、翌年の1月に働き始めたとき、すでにこの方は勤務を終えて、いらっしゃいませんでした。
私がチーム内で唯一、日本語で調べものができるので、よく字以外のことでも、その準備されたファイルになければ、リサーチを頼まれたものです。調べていくうちに、私もおもしろいな、知らなかったなと思うことが度々ありました。

そのうちの一つが布団です。
ミカの寝室の飾り付けをしているときに、布団がどんなだったか調べて欲しい、と頼まれました。ざっと調べてみたら、布団っていうか着物でした。



丈の長い着物に綿をたくさん詰めて掛け布団にしていた、とありました。
かいまき(掻巻)という言葉を、聞いた覚えはありますが、そういう事だそうです。写真は幕末ー明治のものらしいので、少し47 のころより後になります。
寒い時はそれをそのまま着て、室内で過ごしていた、という記述もありました。ちゃんちゃんことか、ねんねことかはこれの名残かも。
屋外へは着ていかないものだったそうです。

布団をはおってウロウロしてたんだ、それは今ある全身すっぽり入る、着れるフリース毛布のようなのと同じなのでは、、、!
昔からダラダラする時の根本は変わっていなかったのかも、と可笑しく思ったのを覚えています。

でもそれは庶民の布団、ということだったので、お姫さまのミカはきっとちゃんとした布団を持っていただろう、という結論になり、結局彼女の布団は普通の四角い掛け布団になりました。


色調が寒そうですが、キラの砦に捕われている時の部屋なので、寒色系です。でも布団、これじゃ北国では寒そうです。

そして枕。

結った髪型が崩れないように、高い枕になっているのは時代劇でおなじみです。日本から持ってきたアンティークの枕もいくつか倉庫にありました。デザイナーはそれらの布部分を変えるように布部に頼んだらしく、仲良しの布部の女性は枕を沢山作ってたのを覚えています。

塗りの部分が奇麗です。
この柔らかい部分の中身は何だ、と聞かれたので、そばがらだと思うと言いました。
そばがらが手に入らないので、その布部の女性は触感が似た代用品を探し、クスクス(cous cous)という小麦粉で出来た中東で主に食べられる小さい粒のパスタのようなものを詰めていました。時間がたったらかびちゃうかもしれません。

全く字に関係ないのですが、こういう調べものも楽しかったです。



Sunday 24 May 2015

農村の小物たち

農村にいるのがあまりに好きだった私は、自分の仕事以外に何かすることを見つけよう、そしたら外に長く居れる、と考える毎日でした。

この頃で、勤め始めてから5、6ヶ月目。色々慣れて、誰に何を聞けば良いか、何に手出し(手伝い)していいか、周りが読めてきていました。

農村にありそうな小物などの資料をリサーチして、画像して揃え、デザイナーやチームメイトに説明しながら「私作れる、できる」アピールをさりげなくします。

手伝いではなく、私独りに丸投げされたのは、辻にあるお地蔵さん。
以前も言いましたが、宗教的な飾り付けはなぜか私に任せることが多くありました。

この時は建物チームが祠まで作ってくれていました。適当な座像も見つからず、では、と大きめの石を、庭チーム(Green team) から拝借してそれをご神体に。


お供えに果物などを置き、野の花を飾って、「神道のカミナリ」をつけました。

余談ですが、茅葺きは、茅葺きの専門の作り手さんチームがいました。
ショウグンのお成りになる門にかかる、かなり大きな注連縄などは彼らが作っていました。よく出来てます!

それから防火水桶。
元禄時代に果たしてこの形であったのかどうか、、、厳密には怪しいですが、木版画などの資料からこうなりました。


建物チームが外側を作り、桶は私たちのチームが大工さんチームに頼んで作りました。彼らはもう驚くほど資料があれば何でも作れます。この桶も撮影後、お風呂用にもらいたいくらいでした。

水は地べたにはいつくばって書きました。側面は火の用心(要心)。桶には木版画の資料を真似て、村の庄屋さんの屋号を入れます。角にお護りのお札も貼りました。
よく出来ていましたが、多分オオイシたちの進行方向と丸で逆なので画面には登場していないかもしれません。

全く字と関係ないことで手伝ったのは、大根と柿!


干し柿は食べたことも見た事もありますが、作ったことはなく、これもネットのお世話になって、先輩と一緒に、2時間ほど縁側に座り込んで、黙々と糸を通しました。糸は工作用の太い糸で、布団針のような巨大な針に通しました。オオイシ宅の脇にたくさんぶら下がりました。

大根は、、、
どこから資料見つけたのか失念しましたが、切り干し大根みたいに干物にしてる、、、のかな。大根自体は味が少し異なりますし、灰汁もすごいのですが、ロンドンでも中華食材屋などで売っています。格子に葉の部分を結んで干してるようにしました。

実物をよく見ると格子や襖の感じも、やはり日本古来のものと異なりますが、カメラを通すとこの赤めの木の色が、それっぽく見えるのでやはり魔術のようです。



Sunday 10 May 2015

農村の掲示板

農村の飾り付けがあんまり楽しくて、デザイナーにもっと字を書くところを作って下さい、と冗談半分で言っていたら、増えました。

通りの中程にある家の壁に、掲示板のようなものができました。
お達しやお知らせを貼っておくところです。
この頃の民間人はどのくらい字が読めたのか分かりませんが、
何か通知があれば貼っておく、
見たものはなんか言ってるな、と認識して
字を読める者が代わりに内容を伝えたりしてるのかな、と考えていました。



よく時代劇で町が舞台だと、立て看板のようなものも見ます。
この形は、私が行ったら出来てたので、大道具の方が、何か参考にしてこの形にしたんだと思います。


掲示板はずっとそこにあって、何かお達しが来る度に、紙を貼っていくことにしよう、と勝手に設定しました。
紙は和紙よりちょっと厚めのしっかりめの紙に、直に書きます。
軒下だけど、防水スプレーをして、それからシミをつけ(エイジングスプレー)て、スプレー糊で板に貼りました。

完成した写真がどっか行きましたけど、お札とか色々別のモノをはったり剥がしたりして、跡を付けたりして、最後に全体にまたシミを付けて出来上がりでした。


Sunday 26 April 2015

畳屋

オオイシたちの村(アコウ)のセットは、前出しましたが、農村の設定で、撮影に向けて準備していたのが、ちょうど5月6月の気候の良い時でした。
縁側に腰掛けて作業しながら、通りかかりの同僚と世間話なんかしたりして、昔もこんなだったのかなと思ったりしてました。

農村ながらも、デザイナーは各戸に商売を設定していて、ここは普通の農家だけど、ここには農耕機をたくさん置こうなどと決めていきます。
うち1つを畳屋にしたい、資料を集めるように、と言われました。

資料の本棚やネットで検索してみます。



今でも、当時と作業の様子があまり変わっていないものの一つかもしれない、と思ったのを覚えています。

それはそうと畳って妙な字ですよね。

農村に果たして、畳が必要だったのか。
農家って普通は土間とか板敷きだったりしないかな、と思いましたが、上に収めるようの商品かもしれません。畳マットでなくても、むしろや、ゴザなどなら、農家でも需要はあるはずですし。

あまり資料の数としては集まらなかったので、その画像のうちの一つを丸ごとコピーさせていただくことにしました、、、。店の名前だけ、仲良しの名字を借り、さとうさんに畳屋になってもらいました。



提灯は店の看板代わり。
むしろを丸めて、しばるところから自分でやりました。ネタ(インク)はペンキです。
のどかな農村の軒下で、皆と声掛け合いながらの作業は本当に楽しかったです。


提灯、けっこう気に入っていたのです。
IK○Aで買って来た骨組みだけのランタンに、小物作りの方が、古い出版物をはっつけて下さったので、骨組みの上からですが、字を黄色い菱形を入れました。
なぜかその後デザイナーに「腰みの」を追加されて、てるてる坊主のような、、、。

デキが気に入ってるものの1つですが、きっと本編には登場していないようです。

Tuesday 14 April 2015

のぼり、、、

3月後半と4月頭にかけて、日本にいました。桜や春の食べ物を満喫できて楽しい休暇になりましたが、ふと目について考えてしまったこと、、、

ラーメン屋が多すぎる!

こんなに需要があるのだろうか。
そして、ラーメン屋に限らないけど、(焼き鳥屋!居酒屋!)看板とのぼりの多いこと、、、。国道沿いは特に、何を叫んでるんだと言いたくなるくらいのうるささです。


こんな風に数があっても、シンプルで統一感があればいいと思うんです。お寺や神社には多く見られます。




でもさすがにこれはどうなの、、、、、もっとひどいのもあると思いますが。
なんかもうさすがに。これで美味しそうと思って入る人がいるんだろうか。
けんかに弱い犬ほどうるさい、という言い回しを思い出しました。
(しかもベトコンって、、、)

ほんとに美味しい店はこんなに叫ばなくても口コミなどできっと人が集まる。

東京五輪に向けて、地区によってはビルの外に出ている看板などに規制が出た、と聞きましたが、道は遠そうな気がする。



Sunday 1 March 2015

紙垂

しで、という言葉に聞き覚えがありますか。
紙垂(または四手)と書いてしで、と読みます。聞き覚えはないものの、画像を見ると、日本にいる日本人なら必ず目にしたことのあるものです。


注連縄などと一緒によく見られる、紙のお飾りのことでした。
神主さんがお祓いされる時や、お捧げものの玉串などにも付いてます。
神聖な域を示すため、またはこれに囲まれた内部を外の悪しき物から守る意味があるようです。
可笑しかったのは、スタッフの間でのこれの通称が「シントウ・ライトニング」つまり、神道の稲妻、(神道のものであるという認識はあった)だったのですが、本来の意味を調べていると、稲妻のように尖らせて、外部の悪を威嚇する意味もあったようで、あながち「ライトニング」も見当違いではなかった事です。


よく見かけるのは、最初の写真のものですが、上の写真のものは伊勢流という切り方のものだそうです。紙垂と検索をかけると、作り方を載せて下さってる親切な方が多くて、またまた助かりました。神棚や祠などに、小さいものを作ることが多くありました。



キラの城の、外側の飾りを進めている時に、デザイナーが見つけた資料のうちの一つに、幟の上に笹や、この紙垂を束にして、高い竿のてっぺんに付けたものがありました。正式な名称は分かりません、、、。


写真は、愛知県半田市のお祭りの幟のようですが、他に山車行列の際に、竿の先に付いていたりします。これを作ろう、という事になりました。

こういう時に、物を作る人たちは、こういう写真から、人の背丈がどのくらいなので、竿は何メートルくらいだろう、すると、飾りはこのくらいの大きさだろう、と縮尺で大きさを割り出すようでした。
キラの城や櫓の上に付けるなら、紙垂のふさふさは、私の身長くらいになります。

そして材料は、本来美濃紙など厚めの和紙であるけれども、屋外のセットに使うために耐水性のものでなくては保ちません。仲間で相談して、バイヤーが買って来たのは、IKEAのポリ製の安いブラインドでした!

それを寸法通り切って折り、アイロンをかけ、その上に解けてこないように折り目を薄く糊で貼りました。切っては折り、切っては折り、ボリュームのあるフサフサにするにはけっこう沢山ライトニングが要りました。

2階建ての家のてっぺんまで届きそうな竹の先に、ふさふさを取り付けます。

ワサワサと、かついで屋外のセットまで行く途中で、日本からいらした殺陣やアクション担当の方々とすれ違いました。皆さん「あー神社にあるやつのでっかいのだ」。やっぱり名前はご存知ないようでした。



けっこうフサフサにしたつもりでしたが、2、3日外に出していたら、こんな感じです。もっと量が要ったのかも!

資料にあった笹がてっぺんに付いたものは、幟のいくつかにそのアイデアが反映されました。これは砦のような所の幟です。自分の字が屋外のセットに実際にあるのを目にした、
最初のもののうちの一つでした。

なんで笹つけるんでしょうね。
他に五色の布や、三段になった傘など色々飾りの種類がありました。きっとそれぞれ調べていたら意味があるに違いない。

とは言え。作り方が分かったので面白くて良いのですが、なぜ私が紙垂担当になったのでしょう。それ以降も「ライトニング」が要る時は私が作りました。

Saturday 21 February 2015

2月

2月は毎年、バレンタイン、中国の旧暦正月と、ロンドン・ファッション・ウィークが重なって、私たち字書きにとってはイベント目白押しの時期です。3月にまた帰ってきます。
2月中にあったことを、公開できる範囲で書いている別の活動ブログがこちらです。よろしかったら、覗いてみて、ご感想など頂ければと思います。

Saturday 31 January 2015

粉薬の包み方

アサノのお姫様、ミカは、キラに連れて行かれ、寒い北国で軟禁されています。そこへ、カイやオオイシたちが、婚礼の日を狙って攻撃してくることになっています。台本では、ミカが捕われている間に、魔女とのやり取りがいくつかあります。

魔女はキラに気に入られているミカが好きではなく、嫌がらせをします。

なぜかこの辺りのセット設営の時には、私も現場で、デザイナーを手伝って、部屋に置く小物を選んだりすることが多くありました。部屋へ活ける草木を、近くの散歩道から採ってきたりもしました。



 屋内セットと、屋外セットの間には、緑地帯があって、手つかずの林になっているので、材料にはことかきません。なるべく日本の里山で見るのと同じような、藤のつるなどを探して、柱にかける花入れに活けたりしました。

控えの間で、寝室は別にあります。部屋にはちゃんと畳が敷いてあります。

 女性の部屋ではありますが、キラの色で統一されています。座布団もフトンも、布部の手作り、行灯や火鉢などは日本から来たものです。
衣紋掛けも持ってきたものですが、着物を普段着ない私はこれにどうやって着物を掛けるのかさえ分からずに、皆に笑われました。

壁はわざと寒そうな色合いです。
この同じ色は、キラの館全体に使われ、後にオオイシとキラが斬り合う廊下などにも同じく使われました。

この部屋で、魔女がミカに自殺をほのめかすシーンが最初の台本にはありました。彼女の奪還のために、カイも含めて何人もが犠牲になるなら、先に死んでしまえ、と言って、食事中に飲み薬を渡します。

これが粉薬らしい。そして粉薬はどうやって一回服用分をまとめていたのだ、とデザイナーからの質問があり、頭に浮かんだのは、紙やセロハン紙などを折り紙のように畳んで、中に入っていた粉薬でした。私が子供の頃は、よく医者で出されて、飲みにくくて嫌いだったものです。今はカプセルになっているのかな。

しかしあの包みは、どうやって折られているのか。
そこはインターネット様々でした。図解で載せて下さっている方が多くいて有り難かったです。それを、字を書いた紙で折る事にしました。


詩は あふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし、百人一首にもある詞です。書いてから、コピーを取ります。折った後にどの辺りに字が見えるのか、位置を決めてから、複数枚コピーします。

らしく見えました。
ちゃんと粉の代わりに、キッチンにあった砂糖を入れて包みました。
でもよく考えたら、元禄の頃にもこの折り方であったのかどうか、そこまで調べませんでした。結局そのシーンはなしになったようです。撮ったかどうかも知りません。

その同じ時に同じシーンのために、おはしも作りました。なぜか。
ミカと魔女が食卓をはさんでいるシーンで、二人用に倉庫から箸を選んでこいと言われたのですが、ぴったりものが色目的にもなく、同じ形の木の箸を選び、色を塗る事になりました。なぜ私が。まあいいか。

口に入れるものだから、大丈夫なように、と言われて、ペインターさんに聞いて塗料を教えてもらって塗りました。


夫婦ものみたいになってしまいました。
魔女は、映像では髪の毛が蛇のように動いて、その先でおはしを持っていたように覚えています。それがこの箸だったかどうか、確認していませんが。もしそうだったら、お二人とも今もお元気でご活躍のところを見ると、口に入れても大丈夫だったようです。



Sunday 25 January 2015

軍配

使われなかったものが続いてしまいますが、試合会場の準備をしている時に、制作を提案されたもののうちの一つに軍配がありました。

今でもお相撲の行司が持っていますし、「軍配が上がる」などという言い回しもあります。試合に参加する各チームの大将たちが持っていたらどうだろう、ということで、リサーチを始めました。

すぐ頭に浮かんだのは川中島でした。
信玄で調べると、肖像画などによく軍配が一緒に描かれています。


信玄が使っていたもの、として伝わるものも現存するようです。
鉄で出来た、剣の打撃を防げるような物から、木や皮製で、漆を塗って仕上げたようなものまで色々あったようです。

言葉が入っていたものも少なくなかったようです。どういう感じにするか、絵でまずアイデアを出します。
各チーム、テーマカラーがありますので、それを元にして、リサーチの結果もふまえて、形にしてみます。




上から、猪、キラ(左)、アサノ(右)、魔物(?)、虎チームの、各裏表の案です。(いまだにこの魔チームの設定が不明、、、)

日本で購入した小物のうち、いくつか軍配が見つかったものの、出場チーム5つには足りません。しかもこういう小道具を作る時は、何かあった時の為に、必ず二つ以上作ります。足らないので、見つけた軍配を参考にして、小道具作りの方に作ってもらいます。


できたものは木製でした。
ペインターさん達に塗料をもらい、ほぼフリーハンドで塗ってゆきます。字もフリーハンドで書きました。でこぼこがあるので、書きにくく、後から線が浮いた箇所などを埋めます。


なんかデザインが、最初の案と違いますね。どう変わったのか忘れてしまいました。
持つ柄の部分の手元に近いところに、作った方が穴を開けてくれていたので、房や紐を通しました。

紫のキラの、裏の字は 吾唯足るを知る、竜安寺石庭のつくばいにもある言葉です。でもなぜこれをキラの軍配に入れようと思ったのか、メモも、私の記憶も残っていません。足りてなかったから、アコウが欲しかったのに。

作った後、セットに配置されたまでは知っていますが、あとどうなったのか分かりません。私の知る限り、画面には登場していないと思います。そういう小道具がけっこう沢山あって、今思うとこれも含めてどれかは手元においておけばよかったと思います、、、。勝手にそんなにほいほい持って帰ったら、きっと怒られると思いますが。デザインから作るまで、楽しい作業でした。


Sunday 18 January 2015

旗指物 はたさしもの

旗指物、と聞いた時、私は何も思い浮かべる事ができませんでした。

馬印、はたさし、とも言うようですが、戦場で敵味方を見分けるゼッケン(!)のようなもののようです。それぞれの家や城、領地の目印が染められた旗を、棒にさして背中に差し、身分証明にします。



これらは今でもある馬追いや、祭りの際の画像です。かっこいいですね。先日書いた幟もそうですが、大量旗とかこの手の大判の布はちょっとドキドキします。

「旗上げ」「〜の旗のもとに」「旗を巻く」などと、今でもまだ通用する言い回しがあります。

馬上の武士が着ける場合は背中に竿を入れる筒のようなものを装着して、そこへ差したようです。

デザイン的にもとても面白く、調べてみると、陣羽織や兜などのデザインと共に、シンプルだけど素敵なものが多くあります。
有名なところで、風林火山と昆、またひょうたんや、六文銭など、今でもタオルやストラップなどになって商品として人気のものも多くあるようです。

試合会場の舞台背景として私たちも作ることになり、字が入っているデザインも多かったので、私もおもしろがって色々考えてみました。

参加チームはアサノとキラ、虎、猪、あと魔物チーム(?)という設定。試合が青い蓮の花の名前のもとに行われる設定だったため、蓮のデザインもあります。
端のメモ書き、国士無双が何を意図していたのか、記憶にないです。
華経と一天四海はともに日蓮宗です。

しかしこれと同時進行で、キラの紫の提灯制作が、とても急がないと間に合わない感じで進んでいました。

結局、字の旗はなしになり、絵になりました。何せ数が多かったので、布チームが竿に通すようにベロを付けてゆくのと、絵チームが塗って行くのとが間に合わず、チームを問わず、絵心が少しでもある下っ端は総出で色を塗っていたのを覚えています。

私も提灯で死にそうになると机に戻って猪を塗っていました。


絵チームが下絵を塗った上に手で猪を写して塗ります。屋外用なので水溶性のペンキです。猪というか何かもっと怖い生き物のようです。でもこういう文献が資料であったのです。塗る前に金箔を貼っている旗もありました。

結果、旗指物というよりは、全て幟、旗になりました。
青天に大量の旗がなびいてる風景は、やっぱり心が踊るものでした。