Saturday 29 March 2014

撮影前の体験リフレッシュ

Windsor は、セットがある撮影所から車で3, 40 分くらいのところにある町に隣接する森で、撮影所からいきやすいので色々今までの映画にも登場している場所。こういう所外で撮影する場所を探してきて、許可を取ったり、予約したりする班もあった。もちろんスタッフや機材の移動、俳優さんたちの送迎をする車、運転手たちをマネージする班もある。

結局、各自が名前を署名した上で、血判する事に設定が変わった。47人、違う筆跡に、無理矢理して、巻物を作り直した。

チカラとカイの名前がまだ入ってない。


血判書サインの撮影日が決まり、その前々日くらいに、サインをする場面に登場する予定の俳優さんたちに、もう一度筆の持ち方などの指導を、と言われた。偉そうに送迎車付き。

実際に皆さんが書く字自体、巻物は写らない。それは、クローズアップなどを撮る、第二撮影班の仕事になる。とりあえず各自の名前を見てもらい、完成品の血判書を見ていただき、字面の確認をし、筆がどう動くかさらってもらった。安定の悪い道にガタガタする折りたたみの机の上での短いレッスン。

オオイシ氏は、実際の内蔵助の筆跡のコピーを3月にお渡ししてから、ご自分で練習なさっていたようで、すっかり見事に彼の署名がすらすら書けるようになっておられた。カイは利き手の左手で書く事に決めた様子。魁、という日本人でさえ難しい一文字を、書き順を確認しつつ、時間いっぱいに練習して、お手本と書く道具一式を持ち帰られた。

書き順について「こうでなければ絶対いけないのか」と聞かれた。
全部、リズムでつながっているのだけど、説明するのが難しい。

チカラ氏にはここで初見。署名を見せて、書いていただく。細部はともかく、運動神経が良いのか、物怖じしないのか、リズムよくどんどん書かれていたのが印象深い。

オオイシ氏から、撮影当日も立ち会って欲しいと言われ、制作側へ話を通すことになった。この間、3, 40分間。皆さん、撮影間の休憩の間に、気分転換になるのか、乗り気で書いて下さって嬉しいことだった。横で切れない刀でチャンバラごっこしてる人たちもいて、楽しい雰囲気だった。

帰ってから、大量の卒塔婆と格闘しながら、撮影当日を迎える。朝8時に始まる夏の日。

Sunday 23 March 2014

血判書なかみ

血判書署名のシーンは、今までハブだったカイが、47人目に正式に加えてもらう、というけっこう大事なシーンだ。
それは、彼らの旅程中に起きることは最初からの設定で決まっていた。旅に携帯できる形状である巻物であることを提案し、いくつかサンプルを探して、小物を作る担当の人に渡した。お軸が横になった形状だろうけど、私自身作ったことはないので、資料だけ渡してお任せすると、ちゃんと出来上がっていたのに、とても感心した。何でも作れるんだ。


撮影では、実際に指を切って、判を押す仕草を数人が繰り返すだろうから、失敗しても代わりのあるように、いくつも作る。うろ覚えだけど、たぶん20以上はあったと思う。巻物の状態になってから、私のもとへ来た。巻物になった製品に、直接書くことになるので、失敗するともったいない。書き損じのないように。
(実際書き損じた巻物は記念に失敬してきてしまった。)


資料を見ると、署名者がどういう趣旨の元に賛同しているか、という主題が先にある様子なので、でっちあげてしまう。オオイシ起草の、アサノ臣下が署名、という形に。
スタッフはその部分を「legend」と呼んでいた。伝説、という意味でしか知らなかったけれど、「銘」「題、説明文」という意味がある様子!知ってましたか。



これで legend 部分。
撮るのは 47人全員でない。オオイシは起草者なので、先に署名してあるだろうとして、ホリベなどが 2,3番手、そこから飛んで、最後にチカラ、そしてカイという撮影順序。複数個あるうちの半分を、legend とオオイシまでにして、あと半分は 45人目まで書いたものを用意する。

作成を始めた時の設定では、オオイシが前もって 47人分の名前を書いてしまっていて、それに各自が血判を押す、という設定だったので、全部同じ筆蹟にする。



実際の四十七士の名前を調べ、ホリベなど本編に実際登場する名前を脚本でチェックし、実際にない、架空の登場人物(バショウなど)を足して47人になるようにする。

ここで、カイである。
カイは漢字なのか。
漢字ならどの字のカイなのか。音的な、名の由来である、怪物の怪なのか?個人的に私はカイの音から最初から「魁」をイメージしたけれども、それでプロダクション側が ok なのか?漢字じゃなかったら?塊、快、海、他の漢字の可能性は?
平仮名、変体仮名なら、可以、可い、か以、火以?
(上の写真だと可以)

ここまで血判書の形式や設定などを、時間をみて、オオイシ氏に相談させていただいてた。今回もお話をして、いろいろな可能性をお見せした結果、「魁」で行くことに。不憫だけど、姓はなし。

そして!再び「クリア」の問題。46人分の名前(カイ除く)の許可を取らなければならなかった!映画作るの決めた段階でそれは取っておいて欲しかったけど、、、。

前述の通り、当初はサインのシーンを3月にブダペストで撮る予定だったのが、延期に。そして設定も変更になり、各自がサインして、血判をする、ということになった為、最初から45人分、同じ筆蹟で用意した巻物は全部無駄になった。最初から作り直し。こういうもったいない変更は、他にも度々あった。

それは6月頭の頃。ちょうど、お寺、切腹場、墓地のセットを完成させるタイミングが重なっていて、私は卒塔婆やお札など数の多いものと、連日残業で格闘中だった頃、プロダクションから ウィンザーの森へ行ってくれ、と頼まれる。その撮影の前に、もう一度カイに稽古を付けること、その翌日撮影に立ち会ってくれ、ということだった。





Saturday 15 March 2014

習字指導

ブダペストの撮影所で、昼休みの30分をもらって、血判書にサインする予定の俳優さん達に習字指導をする。
行くと日本からいらした俳優さんたち全員にカイ、そしてサインすることはないのに、キラ氏とマジョも同席。マジョは、目の色が変わるコンタクトに慣れるために普段から練習中で、不思議な目になってた。キラ(浅野氏)はその前に赤塚不二夫の役をされたらしく、バカボンのパパとかすっごい上手に、本物のように書いてて、ちょっと感動。全員揃ったかなと思って始めようとしたところに、オオイシ氏が最後に参加、途端に全員立ち上がって声の揃えて「お疲れさまですっ」。思ったより体育会系な、俳優さんの世界。以上、余談でした。
(あ、この時点でチカラ役が誰になるか、まだ決まってなかったので、彼なしです)

英語で、と言われてたけど、途中からカイが気を使って、是非日本語で、と申し出て下さって、日本語で説明。まず座り方と、筆の持ち方から。


サインするのに用いる筆は小筆ということになっていた。男性はそれでも少しひじを張り気味でも良いと思うと言った。きっと当時の人たちは慣れてるから、左手を添えなくても書けたと思う。筆は立てて書くこと。鉛筆持ちにならないこと。

その後、当時の文書や筆蹟の例を見てもらう。内蔵助はさすがに資料として筆蹟が残っている。しっかりした、でも荒くない、バランスの良い字に見える。(下、画像)


次の横長の画像は主税の筆蹟。
若い、のびのびした気持ち良い字の様子。



カイ以外は皆、筆は学校で持ったことがあるとのこと、ホリベ氏はご自分でも少しされるらしい。オオイシ氏も心得がありそう。きっとホントに字を書いてる手元や字は、その撮影では行われないので、大体の筆運びができれば良いと思って、皆さんに筆の持ち方だけ注意していただいて書いてもらった。
カイにとって、習字初めて、筆持つのも、字を見るのさえ初めて。資料を見せている時に、文書によって全く雰囲気が違って見えるけど、全部同じ字なのかと聞かれた。興味深い質問。行書、草書が混ざっていたからか。目が良いんだな、と思った。
彼自身は左利き。どちらで筆を持つかも決めてない、とのこと。その時は左で書くつもりで、筆持ってお教えした。結局、本番も左手を使っていた。

でも30分だからすぐ終わって、皆また撮影へ戻って行った。なんか全然やりたいこともできなかったので、もう1回チャンスがあれば続きをしようとオオイシ氏と話した。

もうこれで撮っちゃったら、変なことにならないかな、これで習字指導で名前が出たら、恥ずかしいんじゃないかなと考えていたら、生まれて初めてくらい夜寝れなかった。夜中に何度も起きた。朝方も2時間続けて寝ていなかった。

疲れた、と思いつつ次の朝出勤したら、皆コンピューターの画面に釘付けだった。今まで話したことのない人たちが、「大丈夫」と声を書けてくれる。何だろうと思ったら、CNNのニュース画面で、家が水に流されていた。何かの映画の場面のようだったけど、少ししてから、日本だ、と気が付いた時に、ケンブリッジにいる親友から携帯に電話があった。3月11日の朝だった。

結局、血判書サインの場面はブダペストで撮らなかった、と後から聞いた。その後、Windsor の森の中で撮影があって、私も立ち会った。それは次回。

Sunday 9 March 2014

血判書って - 書道指導

現在、私たちが「伝統的」と思っている作法やしきたりは、ほぼ江戸時代に確立されているらしい。時代劇、というと江戸時代が舞台のものが圧倒的に多い。

アクション映画なので、剣道や馬術のインストラクターなどは最初からおり、主なキャラクターの役者さんたちは、よくお稽古をされていたようだった。カイがよく(なぜか)階段で木刀の素振りをしているところを見たりした。

血判書にサインする場面があるのは決まってはいたが、どの程度、大事なシーンとなるのかは台本が変更になる度に変わり、どの日程で撮影されるのかも変わった。巻物など外見の設定は早くに決まったが、中身については、初期の設定では「オオイシが全部前もって人名まで書いちゃってる」ものに、各自が血判のみする、というものだった。

その頃の文書はどういうものだったのだろうか。


題名、文言、そして署名の箇所、日付、それから宛先、書いた者、の様子。〜衛門という名がやたら多くて、文末だけ見ると皆いっしょに見える、、、。

調べる時間も内容も少なかったので、いろいろ不明点があるにしても、皆達筆。このごろは筆でしかないんだから、普段から使ってたら皆しぜんと上手になるのだろうけど、お勤めで書記みたいな書く仕事に就いている人たち以外も皆、達筆だったのだろうか。


上記の人名の部分も、個別のサインというよりは、誰かがまとめて書いたように見える。名前の下部分、花押のように見えなくはないが、例のごとく〜衛門や〜助が模様に見えるだけか。



お殿様方の花押の資料は残っているが、どの程度の人まで持ってたものだろう。



その当時はちゃんとした家の子なら、教育を受けていたはず。47人も元は藩仕えの身であれば、きれいに字くらい書けてたはず。大石内蔵助の筆蹟はさすがに資料が残っているが、大らかなで流暢なものだった。

日本の役者さんたちはともかく、カイは筆も持ったことないので、とんでもないことにならないように、皆の休憩時間をもらって書道教室をすることになった。30分だけ。
撮影はブダペストで行われることに(また)急遽決定、3月のある日の昼休みに、集まってもらうことに。

日本は小学校でとにかく習字が必修なのは素晴らしいことだと思う。ぜひぜひその流れは絶やさないで欲しい。そのおかげで、日本の役者さんにはそれほど教えることはなかった。次回、30分について。(写真なし)

Saturday 1 March 2014

セット


少しだけ舞台裏を許せる範囲でご紹介します。
セットデコレーションのチームの何人かは、実際日本へ行って小道具の買い出しを事前にしてきました。それらを船便で運んだ荷物が到着し、大きな倉庫の中で種類別に棚に収められていました。私たちはセットの種類ー寝室、台所、御殿などに応じて、役立ちそうなものをこの倉庫から拾って来ます。最終的にデザイナーによってどれをどのセットに使うかは決められ、使われなかったものは元の棚へ戻されます。
扇、箸などの小物から、瀬戸物、掛け軸や屏風、大きいものでは写ってる籠や、タンス、米の脱穀機などもありました。私にとっては、ロンドンにできたミニ日本空間で、居る事の苦にならなかったところでした。

隣の Art Dep は、大きい建物などを設計、建築している部署。そこの人たちに連れてってもらって働き始めてから1ヶ月ちょっとくらいの時に現場を見せてもらいました。
普段仕事をする建物から壁を越えて行くと広大な敷地があり、そこへ色んな映画のセットが現れては消え、繰り返されてるようです。結構広いので車や自転車で移動している人も多くいました。ゴルフのカートみたいなのもありました。


お城のセットの表は、ちゃんと瓦と石に見えるのに、一歩裏へ回るとやっぱり!ハリボテなのです。でもあんまりよく出来てるので、口が空きっぱなしでした。現場を見るまで、今でこそ映画って殆どCGで、画面で作っちゃってんじゃないかと思ってましたが、けっこうなところまで実物で作るんですね。
実物感がある、と思っていたセットですが、面白いことに7ヶ月の勤務が終わってから見ると、痛みが激しく、石の部分も軽く見えるし、長持ちしないんだなあと思ったのを覚えています。それはでもひょっとすると私の目が慣れて来たのもあるかもしれない。


ミカとカイが龍と闘ったり、キラがミカとお茶飲むところで使われたセット。正面の朽ち木は本物の木でした。灯籠も、セットを見た時はこりゃ大きすぎるだろう、滑稽だろうと思いましたが、お年始にお伊勢さんに行ったら、これよりでっかいのがありました。バックの杉木立の木も本物、雪は偽物です。消火ホースみたいなので、バラバラと事前に撒いてました。
遠くから見た試合会場/お寺のセット。ここも屋根の先っぽとかがよく出来てて素敵だったけども、木の色が赤っぽくて変だなあと思ってました。でもレンズ通してみるとあまり気にならない色になってて、面白いことでした。


2012年の夏はロンドンでさえ暑くて、お天気の良い気候が続き、気持ち良いので外での仕事をさせてもらえると嬉しかったです。試合会場の旗は、布部の人たち総出で縫い、絵描きさん達総動員でも数が多くて間に合いそうになかったので、私達本職でないものも、ステンシルなどを使って塗ったり描いたりしてました。私はいのしし年で猪を、、、

オオイシの家のある農村部分。このセット、大好きでした。縁側で仕事をしていると、通りを人が通って、挨拶して会話になっていく。なんかこう腰掛けて行きたくなる感じがすごい良かったです。丸でその村に居るみたいで、居心地よくて、なごむセットでした。撮影が終わったらなくなっちゃうのが惜しくて、家1つ丸々もらえないかな、と真剣に思ったものです。火の用心の桶たち、洗濯物、干し柿、暖簾、稲の束や、干し大根、看板や提灯、それから辻にあるお地蔵のお供え物と、いろいろ飾り付けを手伝えて、楽しいセットでした。
これと隣接して、ウエツ村という閑散とした鍛冶屋の多い村のセットもありましたが、そっちは全体的に青いトーンにしてあって、暗くていやな感じでしたから、長居しませんでした。「是よりウエツ村」っていう表札や、鍛冶屋の扉看板などを書きました。


 スタジオ以外でロケに付き合ったのは、血判書の場面だけでした。比較的すぐ行ける Windsor の森で、針葉樹の多い箇所でした。やっぱり偽物の雪が撒かれ(撮影は6月、夏だった)重要な人たちの歩く所は歩道が作られ、機材が運ばれ、ケータリングのお食事も近くにテントがたち、そこだけ小さい村になったみたいでした。実際にカメラが回っている横で見てるのは、キラのお茶の場面についで二回目。今目の前で動いてる人達がレンズ通して画面で見るとやっぱりちょっと違うのが興味深かったです。

ロンドン以外にも、ブダペストで2/5くらい撮影が行われました。天狗の森、出島それからアサノのお屋敷があったように思います。お屋敷なんてホントに良く出来ていて、お庭も奇麗で屋内でしたけど、再び親近感のあるセットでした。ブダペストの町も二回目でしたが、面白かったです。ご飯おいしかったし、温泉はあるし、工芸品で言うと刺繍がとても奇麗で、クッションカバーなどを買って帰って来ました。
そこで本来は血判書のサインのシーンの撮影があるはずでしたから、画面で筆を持たないといけない俳優さんたちに、持ち方などを指導することに。それは次回書きます。