Saturday 15 November 2014

柱をくるむ幕 1

四十七士が切腹をする舞台となるお寺の飾り付けが始まりました。

私に割り当てられたのは、その柱をくるむ布に字を書く事でした。布は絹製で、柱は角柱のため、四辺があることになります。布部の方にはしっこや、くるんで後ろで結ぶ紐などを縫ってもらって、出来上がりを事務所へ持って帰りました。

お寺のセットに行って、どのようになるかイメージしつつ、参考にするため写真を撮って来ました。

中心から左右へ二列ずつの柱がくるまれます。
天井の都合で、短いものと長いものが、半分半分くらいになりました。

何を書くか。
お寺だし、人が死ぬ所なので、お経にすることで ok が出ました。もう浪人とは言え、アサノ家に仕えていた四十七士ですから、同じ宗派なのだろうと思うことにします。(多分一人一人調べていたら、きっと全て違うのでしょう)

アサノ家の宗派ですが、内匠頭が四十七士と共に葬られた、有名な東京の泉岳寺は、曹洞宗です。しかし調べて行くうちに、高野山(真言宗)にも墓があるし、京都の瑞光院というところもアサノの祈願寺となっていて、そこは臨済宗。どのお経をとれば良いのか、迷ってしまいました。

そこでオールマイティーなのは、般若心経。
般若心経は、浄土真宗以外では、広くどの宗派でも唱えられているということです。文言を写し取って、書く準備をします。


絹は書きやすい布地です。濃淡もかすれも出るし、意外と染みません。墨だと気持ち良いのですが、これらは屋外で使用される為に、ペンキで書きます。

自分の身長より高いので、会議用の机を二つ合わせ、汚さないようにビニールで覆い、布部の方にいただいた厚めのフェルトを下敷きにして、その上によじ上って、布の上に座るようにして書きました。

今考えたらどうして床で書かなかったのかな。

幅を四つに折って、一行が一辺に入るように書きます。

この作業は、7ヶ月間の勤務の、終わりの方の日々にしたものなので、大きいサイズにも、あまりびびらなくなってきていました。また、倉庫でなく、事務所でこのサイズの物を書いたのはほぼ初めてだったので、通る同僚の反応も楽しかったのを覚えています。

「そこ、つづり間違えているよ」

とイギリス人が読めもしないのに、つっこんで来ます。

「じゃあ自分で書けば」

と、少しどきっとしつつ(綴り、スペルは苦手)私。

一枚書いて、現場へ持って行って、実際に巻いて、どう見えるか試してみます。
最初は固く、楷書と行書から。



長いのと、短いのと1枚ずつ。背の高い同僚に手伝ってもらいました。
良さげですが、書体によっては、そんなに一辺の幅ギリギリに書かないでも良さそうです。

続きます。

Friday 7 November 2014

布、といっても木綿、麻、絹といろいろ書きました。
以前も述べましたが、幟というのは、大きな宣伝手段であったようです。戦場では領地の宣言、平和な世では行商、興行の宣伝など、古い資料にもよく見られます。


広重の作品は大好きですが、撮影現場の資料本棚にも良い本が沢山ありました。神社などのお参りやお祭りの場面によく出て来ます。字も面白い!


これも広重ですが、幟というよりは、、、かつぎ物。実はこれ、実際に作りましたが、実際に撮影には登場しなかった残念なもののうちの一つ。上に3つも紙垂が付いてるし、丸いところは実は扇が三つ連なっている。この図は商店の看板やサインの役にも立ちました。

現在でも幟はとても有効に視覚に訴えかけると思います。お相撲や歌舞伎の公演会場で幟はよく見られますし、上の写真は能登のお祭りの伝馬船だそうですが、かっこいい!サイズが凄いですね。字は普通ですが。

この映画でも、旗指物(はたさしもの。また別途話します)を始め、幟は様々な種類や形大きさのものを数多く作りました。ペインターさんはいつ行っても幟を塗っていた記憶がありますし、布部の人たちはミシンでこの L 字形の、竿に通す部分のミミを無数に縫ってました。私も布に書くのは、最後には大好きになりました。


これは最初の頃に書いた絹で、キラの砦用。指示は「軍隊の部署ごとに7、8つ書いて」。部署って?と思ったら、槍とか鉄砲とかの役目ごとの様でした。歩兵も入れて、数を揃えます。背が高く、幅が細いものでした。
これは上下で引っ張って、宙に浮かして書いています。墨でなくて、屋外用なのでペンキです。

 設置されたところ。
あちら側にキラの紫タコの幟も見えます。それに比べたらやっぱり白い地に黒の字は目立たない。幅も細かったので、そう大きく書けなかったけど、ちょっともったいないです。もっと黒目を大きくしたら良かったのかも。


上の写真は、前にも出ましたが、 キラの墓前用でした。(カットされた焼き討ちの場面)
墓場なので、最初の指示は白地に黒でした。南無釈迦牟尼仏、と書いてます。


が、撮影当日に色変更に。
紫と黒に塗り分けた上から、銀のペンキで字を入れました。
その時はアセりまくって作業に追われただけでしたが、こちらの方が大分インパクトがあります。白い幟を見て、二秒で「紫にして」と言った美術監督はやはり凄いなと今は思います。