Friday 6 December 2013

とりあえず書いて貼っとく。そして著作権。怒られてばっかり。

日本では今日から公開だそうです。どうなんだろう、、、。気になる。

台本は、最初から出来上がってるものだと思っていました。そしたら初回に読んだものはちょっとしかなくて、え、こんな短いの、と思っていたら、どんどん差し替えや追加がくるのでした。最後にはちょっとした厚さになりました。
忠臣蔵の話は日本人だったら誰でも知っています。台本を読みながら、頭に浮かぶのはTVで見たドラマの画像。それらと、台本にある場所の指定を読み、それからデザイナーたちと話しながら、お店屋にはのれん、お城には幟などと想像して、メモをとります。実際にデザイナーから、これとこれはもう絶対要るの、決まってるの、と言われたのはいろいろな提灯。また逆に資料の本や画像を見ながら、これは何、なんて書いてあるの、と聞かれながら、ラフに復元してみて、と頼まれたり。

なんでもとりあえず書いてみて貼ってみることに。大きな部屋の、皆の通り道に机を置いてもらえることになったので、皆が通りがかりに、何それ、と会話が始まります。

もう、当たり前のことなのですが、皆「なんて書いてあるの」なんです。ああ読めないんだ、って都度思いました。「かっこいいけど、なんて言ってるの」カリグラフィーでもそうですが、習字だって、字を書くわけです。何か情報が載ってるわけです。何か言ってるのは、何かを伝えたいからです。そのことは最初から最後まで、 いつもいつも意識せざるをえませんでした。

「この壁に何か書いて」なんでも良いことないんです。どういう状況で、 どういう場面で、この元禄の時代の字で、その時の言葉で、何と言ってるシチュエーションが想像できるか、できたら、それが時代的に正しいのか、古文的に正しいのか(もっと勉強しとくべきだった)なんでもグーグル様です。

その上にこれが慣れるまで本当に大変でしたし、いつまでも抜けがあったのですが、その言葉や内容に著作権 copy right がないかどうか、映像に使って大丈夫か、勝手に使って怒っちゃう人がいないかどうか、アメリカの Universal の人に問い合わせて「クリア」しないといけないのです。映画の仕事してる人には日常茶飯事だったようですが、私はいっつも忘れて、その度に怒られる始末。人名、店名なんでもです。四十七人の名前、辞世の句、墓石、戒名、南無阿弥陀仏までです。

絵だったらそう厳しくないのかもしれません。字だから、情報だから、何か言ってるから、何かを意味してるからです。もう時間がなくて、「クリア」してる暇なし!もう今撮る!っていう時は、わざと変体仮名にしまくったり、続け字にして読めなくしたりもしました、、、、。

著作権ついでに言うと、私の書いたもの、創ったものは、この映画のもので、私が書いてたって、私に何の権利もないんだそうです。
いろいろ初めて知ることばかりの日々です。



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